2018年6月19日火曜日

②シュレーデンガーの猫

前記事の続きです、さて、私の解釈と解説としていきなり結論を説きます 電磁波は可能な経路を全て球体で辿って行くわけですが、私もこのシュレーデンガーの猫について思いを巡らせて居たときに、この問題は現実問題として対象である猫の状態の可能性は無数に在ると考えました、まさにファインマンの考え方と同じだったのです、経路和と言う考え方です、ファインマンが光は何故、最短距離を進むのか?について考えていた事は昔に本で読んだ事が在りましたが、相対論の独学で私は精一杯だったのでファインマンの考え方を知りませんでした、要は猫は実際問題として無数の状態の可能性を包含していると気が付いたのです、隙をついて逃げ出した猫の可能性、毒ガスが不良品で生きている猫、量子論のトンネル効果で消えた猫まで可能性は無数に在ります、これは予想として先ずは生きている猫と死んだ猫と言う二者選択になる確率が極めて高いだけであり、予想は回数に依って生きている猫1/2に大数的に収束して行くだけである、量子の波は粒がウェーブしながら進むのでは在りませんから、波と個と双対性が成り立っている、画用紙に鉛筆の先だけで波紋を点で画いて行くようにスリットを抜けた電子はや光子は2次元に展開した水面波の様に干渉する これは電子や光子は媒体も無いのに、また、意識も無いのに、空中で見ているかの様に然るべき環境で干渉を現す、まさに核心はこの不確定性原理の1コマ  一コマのブラックボックスの中間状態の理解です、解釈ですす、いずれにしても従来の表現であった、波と粒の二重性と言う表現を私は敢えて避ける、理論的に可笑しいからです、私はよく量子論のマクロ物体を世界人口に例えて置き換えて説きます、唯一、合理的な設定はやはり真空には何かが充満していてエーテルのようなモノが全ての素となっているモデル以外には説明出来ないと考えるに至っております、オッカムのカミソリやオッカムのヒゲソリ?のようなすっきりした合理的なモデルです、それらは今日では超弦理論や超球理論として知られています、私の出る幕はこの分野ではなさそうです。一度ここでまた筆を置いて更新します。

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