2018年1月25日木曜日

バイオロゴスと聖書解釈の不協和音FBから一部抜粋

聖書の解釈の醜い哀れな辻褄合わせをしなくてすみます、自分の素直な疑問も何ら聖書と科学は矛盾しませんから自分を偽らずに済みます

バイオロゴスとは大まかに、科学の領域を素直に認め、神は進化的な過程も含め神の計画の内と考えます、何ら科学と信仰は矛盾しません、聖書は一字一句読むものではない、何故ならそれをしますと完璧に矛盾するからです、聖書の重みは変わりません。勘違いして貰っては困りますかバイオロゴスはインテリジェントデザイン論とは違います、分からない事を何でも狭間の神として神の成せる業とするのをフランシスコリンズ博士は警鐘をならしています。 よく引き合いに出される還元不可能な複雑性につきましても還元が可能であります、時間認識、ゆっくりとした段階的な過程を経ることを見逃しています、血液の凝固カスケードについても同様であります、近年様々な形で進化の過程が裏つけられています、細菌は24時間単位で変容します、あれは何でしょう⁉還元不可能な複雑性とは簡単に語りますとカメラの三脚は三つが同時に独立し個別で各々が立っている必要があります、そして本体のカメラが装着されて立脚します、自然界ではこれを還元不可能な複雑性と言います、知性の介入無しに三脚は立たないのですが、段階的な過程を経ることを視野に入れて時間をかければ立脚します、と言うのがバイオロゴスの科学的な事実である進化の理解です、故に狭間の神と何でも決めつけて器官の部位が不完全云々を語るのはナンセンスです、完全と言う生物の定義は単なる主観です カメラの三脚が知性の介入無しに立脚する事例をあくまでも分かりやすい喩えで私のオリジナルにて書きました、アカウントの投稿欄をご覧ください、バイオロゴスの捉え方ではこの過程も神の計画の内と捉えます。つまり視点の守備範囲が大きいのです  奇跡について、奇跡は通常、自然界の法則を超えた現象を指しますが、自然界の法則に則った、従った現象をも指すと私は考えます、人間がそれを感受し、どう示唆を得るかによります、事例の起きたタイミングも重要な示唆を与えてくれるからです、私がアルコールを断ったのも奇跡でした、それはタイミングよく決心できる時に母が他界したからです。、まず神の存在を結論つけたらあとは全てが神の成せる業と出来ますから話は簡単です。神が存在するからです。脳の中だけではなく、歴然とした客観的な現実の存在としてです。続く。。          

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