2018年4月3日火曜日

神が心の中に姿を現す時

皆さんは神と言えばどんなイメージを持ちますでしょうか?まず、神を信じたり、存在を意識したり、日本ではおとぎ話の物語りだったり、神は心の中に居たり、様々だと思います、私が20歳くらいの時に、神について初めて考える機会になったのがやはり筋金入りの信仰者からでした、当時を振り返りますと内心は本当に神を信じている人が実際に存在するのか?と正にそれが信じられませんでした、思わずその人に本当に神を信じているのですか?と、質問してしまった記憶があります。男性の場合は恐らくは大概は理屈から考えるモノです、私もそうでした、信仰に至るまでの過程は、まず、天下り的に両親が信仰者だったり、辛い体験がきっかけで神を信じるパターンやご利益的なきっかけ、或いは科学的な見地から、つまり理屈から信仰に至るケース等があります。特に理屈から入る場合は、その後に信仰のきっかけになった理由に反証される事実が露になると棄教者になってしまうケースもあります、何が言いたいのかと申しますと果たして神を信じているメリットは在るのかと言う事について焦点を当ててみようと思ったからです、正直に申しまして私は今生に於て神を信じるメリットは、個人的な願い事を叶えてくれる様な安っぽい神ではありません、自分だけを救ってくれる様な図々しい願い事を叶えてくれるような神でもありません、心が打ち砕かれ、苦しんで居るときに真っ暗闇の落胆した絶望が襲うときに何時も傍らに現れて、どんな状況でも心を強め慰め、時には叱り、包んでくれる、それだけのメリットです、安っぽい願い事など叶えてくれる神ではありません、、そんな願い事は大概が叶いませんし期待するだけ損ですからね、神はもっと普遍的で大きく偉大な存在ですから、存在してくださる安堵感を頂ければ十分です、神と言う概念が脳にとって必要な概念であり古今東西に於て不変的な概念でありまず、何れにしても神と言う概念は客観的にも脳の中の主観的にも実体と定義出来る存在です、脳が何故、神を必要とするのか?無意味な機能を摂理は嫌う筈ですからやはり客観的な実体として存在すると考える方が合理的です、草の芽は見たことも無い太陽の存在を信じて成長しようとします、多くの魂が神を信じて心の慰めとなり希望となりますように。アーメン

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